『言葉』の効果はすぐに出るとは限らないのではないか。
なので使った時点での現実的な結果が良いと思えるものばかりでは無いと私は思う。
例えば『言葉』を熱心にかけたヒトが離婚した、が、彼女は結果的に人生が安定した。離婚した時点では現実的には良くない結果だが、時間を経て安定という良い結果を得たのかも知れない。
ただ、これは独りよがりの発想かもしれず、もしかしたら離婚などせずそのまま人生が安定した方が良かったということになるのかもしれない。
『言葉』を使っていて思ったのは、私達は今の時点で起きている事柄の善悪など分からないのではないかということ。
例えばプーチンに、皆で『言葉』をかけたらどうなるのだろう。
プーチン、トランプ、習近平、、etcもしかしたら彼らはヒトに嫌われながらも世界の見えない大切な何かを変える役割で動かされているのかもしれず、どうなるべきがベストなのかは計りきれないなぁ、と思う。
そこで大問題はどういう判断で『言葉』を使うかということ。
感覚というものに従ったほうが間違いは少ないと思う。
感覚には根拠はないが、そこには頭の判断が無いからだ。
ただし、間違いが少ない、というそれさえも、自身が本当に感覚に従ったからなのかの判断は難しい。
しかし、それでも出来るだけ真摯に従おうということが、大切な何かに近づく道なのだと思う。
感じる、もしくは感じる間もない瞬間に、勝手に『言葉』が出て来たらとにかく使う。
使えてるか否かは現実には必要だし結果が分かれば嬉しいが、それは大したことじゃない。
自分という肉体を通し、深い存在から感じたものを真っ直ぐ使う。
知らずに起こるかもしれない多くの実り。
『言葉』は未来へ架けた橋の先にある現実の武器だ。
とにかく感じたら、すぐ使うこと。
倦むこと無く使い続けること。
この『言葉』が地球の裏で、もしかしたら宇宙の庭で響き合っているかもしれないのだから。
白い紙舟(福島県/50代)